○○感が高すぎるせいで人間関係は崩壊する

みなさんには心から信頼している人はいるでしょうか。

例えば身近にいる家族、友人、恋人、ビジネスパートナーなど、形は違えど様々な形で信頼というものは成り立っていると思います。

 

しかし、あなたが信頼だと思っていることが、実は相手を苦しめていた可能性があるというお話を、今回はしたいと思います。

 

ちょっとした喧嘩や、積み重なる小さなストレスは、その信頼が故に起こりがちなのです。

あなたのその信頼は、正しいものでしょうか?

 

 

 

信頼ではなく"過剰な期待感"

 

日常の中で身近な誰かに、こんなふうに考えたことはありませんか?

・LINEを早く返してくれない

・既読スルーされる

・何回言えばわかるの?

・あえて言わなくてもわかってくれるだろう

・気の効かないヤツだ

・私の気持ちをわかってくれない

・あなたならやってくれるだろうと思ってた

・いちいち説明しなきゃわからない?

 

などなど、1つか2つくらいは心当たりがあるのではないかと思います。

しかしこういった思考は既に、相手に対する過剰な期待感から生まれていて、人間関係の亀裂の原因になります。

上の例はすべてあなた自信の"相手に対する要求"であり、その要求が叶わずにフラストレーションになっているだけです。

本来要求にはリターンが必要です。自分が相手になにかを求めた場合には、自分が相手にもなにかを与えなくてはいけません。

あなたは相手に自分の要求を叶えてもらった時、自分も相手の要求を叶えられていると自信を持って言えるでしょうか。

 

 

 

なぜ過剰な期待感が生まれるのか

 

過剰な期待感は、特定のその人との付き合いが長くなればなるほど起こります。

その理由は、個人の行動は無意識にパターン化されていて、一緒にいる人はそれをなんとなく察することができるからです。

 

例えば団体競技のアスリートチームや、舞台に立つようなダンスチームには、いわゆる阿吽の呼吸と呼ばれるような、

たくさんの時間を使って切磋琢磨することで、言葉がなくてもお互いの気持ちがわかるようになるといったエンパシーが起こります。

これはもちろん家族や友達、恋人などにも同様にあり、誰しもがなんとなくその心当たりがあるのではないでしょうか。

 

しかしそこには大きな誤解があります。

 

・人間は時として例外的な行動を起こそうとする

その時の気分や体調や相対する相手によって、いつもと違った行動を気まぐれに起こすのが人間です。

当然行動をプログラムされたロボットではありませんから、その人の価値基準で行動は突然変化します。

しかし身近にいるあなたはその人のそういった行動を起こす原因を突き止めることができません。

今日のあなたは昨日までのあなたときっと同じだろう、という無意識の小さな誤解なのです。

 

・なまじ親切心のある人こそ、相手に同等のレベルを求める

人によっては他人を手助けするのが趣味のようなレベルの、親切心や向上心の高い人がいます。

しかしそういった人の中には、自分は周囲によく気がつくのだから、きっと相手もそれくらい気がつく。或いは、気がついてほしいと感じることがあります。

ですが、個人によって誰に対してどれだけ重要視しているかは人それぞれであり、万人に対して愛を持って接する人もいれば、親しい人にさえもクールに接する人もいるわけです。

どちらが良い悪いというわけではなく、それぞれの価値基準なのです。

あなたが気が利くかどうかと、相手が気が効くかどうかは全くの別問題です。

 

・依存したいという気持ち

人によっては孤独を感じやすく、常に誰かと同じ時間を共にしたいと考える人がいます。

承認欲求が高く相手に共感や共存を求めるため、自分の要求が相手に通らないと気が済まないと感じてしまう思考です。

しかしこういった思考はいわば我儘で身勝手であり、相手の要求に応えるといった意識を持ち合わせることが難しいことが多いです。

メンタルが不安定なとき、人は視野が狭くなり、他人の目線にまで意識が回らないためです。

心当たりがある人は、まずは安定したメンタルを養う必要があります。

 

 

 

家族であっても他人は他人である

 

親の期待

特に親の子供に対する意識として、自分が育ててきた、自分があらゆることを教えてきたという時間と経験で、

自分の子供には自分の思想が重なっていると錯覚している場合があります。

それに、時間をかけるほど成長が感じられるので、その経験から、自分が助言したり手助けすればこの子は思った通りに成長してくれるという期待感が膨らみます。

 

しかし、子供は成長するにつれ、家族以外のあらゆる人間との出会いから刺激を受け、独自に思想が構築されていきます。

これまでは自分が手をかけないと生きることができなかったところから、自立し自分の力で生きられるように成長を遂げます。

ところが親の立場としては、どこかもの寂しさを感じ、時にはそれが裏切りなんじゃないかと考えが発展する場合があります。

 

人は成長するもの。自分とは違う考え方を持つ子供をいつかは受け入れなくてはなりません。

 

 

子供の期待

子供にとって親は、自分の我儘を聞いてくれる存在です。

特に分別のつかない幼少期には、厳しく叱られながらも、やはりどこか可愛いらしいと思う気持ちから甘やかされる場面まであったはずです。

そうした親の態度から、信頼関係を築けている関係であるほど、子供は親に甘え、自らの感情を言葉で伝えなくなります。

それまでずっと親は言葉がなくとも理解しようと努力してきたためです。

 

そして、次第に成長し反抗期に差し掛かった時、自分の本心とは正反対の態度と言葉を示そうとします。

このときの親のメンタルも育っていないと、お互いの感情のなすりつけ合いが起こり、お互いに言葉を失い、態度に攻撃性が増していきます。

 

子供のが故の未熟なメンタルではかなり難しいかもしれませんが、お互いのより良い関係のためにも、

親も決して立派なものではなく自分と共通する心を持った人間であるという認識を、忘れてはいけません。

 

 

男性の女性に対する期待

基本的に女性よりも、男性の方がコミュニケーションが不得意とされています。

自分の感情よりも、合理性や理屈を重視するためです。

また、社会的地位や所得などを大きなステータスと捉えており、激しく競争することを好む男性もたくさんいます。

しかし、自分がより男性的であるべきという欲求や使命感から、女性は弱い生き物である、女性は自分に尽くすべきである、女性には自分の言葉ではなく行動から感情を読み取ってもらなわくてはいけない、

といったような立場を重視する期待感を持ってしまいます。

 

ですが、女性にも女性なりの強い意思があり、決して立場が下になるというわけではなく、あくまで非対称的であり、同等な関係性であることが確かです。

女性との関係を上手く構築するためには、内面の繊細な感情を察知することができ、それを明確に言葉で伝えるといった努力が必ず必要になります。

 

 

女性の男性に対する期待

女性はコミュニティーの中で、調和や協調性を重要視する傾向にあります。

相手の機嫌を損なわないために嘘をつき、場が乱れないように真っ先に自分がサポートに周り、必要であれば謝罪し、人間的な情報を巧みにコントロールし、水面下で支配しようとします。

とりわけ表情や態度から相手の感情を読み取る能力に長けており、また自分の感情と態度を必ずしも一致させるわけではなく、より良い関係構築のために接し方を工夫できるという特徴を持っています。

 

しかし、そういった感情的側面を重視したコミュニケーションを男性にも強く求めることがあります。

男性は言葉数が少なく、自分や相手の感情に無頓着であることが多いため、不機嫌なときには黙ったり、気持ちを隠そうとします。また、こちら側の気持ちに気を掛けることが苦手な人も多いでしょう。

そうしたときに女性は不満を感じます。なぜ自分の気持ちを理解してくれないのか、なぜ察してくれないのか、といったような感情的な期待感を持ってしまいます。

 

男性と接する場合には、自分の気持ちをただ態度に出したり言うだけではなく、具体的に出来事や状況を説明すれば、より理解が深めてくれるのではないでしょうか。

 

 

 

"過剰な期待感"を持たないようにするための意識

ストレスやトラブルがなく、対人関係を良くし、それを維持したいのであれば、個人がそれぞれに持たなければいけない意識があります。

それは以下の3つです。

 

①自分と相手は(例え家族であっても)全く別の他人である。

②幸せは自分が与えるものであり、自分が相手に求めるものではない。

③相手が自分に施しをくれるかどうかは、相手の自由である。

 

人間関係は相手に何かを求めた時点で崩壊へ向かいます。それ以上に、自分が相手に何かを与えなくてはなりません。

もし自分が相手に対してお願い事をし、それを要求通りの答えてくれた場合はラッキーなのです

決してそれが当然のように思ってはいけません。親しい人が毎日自分のためにしてくれることがもしあれば、それはたまたま毎日してくれているだけに過ぎないのです。

 

また、自分が与えたことに対して見返りを求めてはいけません。あなたが相手のためを思ってやったことは、あなたのエゴなのです。相手のためではなく、本心は自分のためです。

親切や手助けはとてもいいことなのですが、自分が相手をただ好きで、好き好んでやっているだけなんだ、と思うことが大切です。

 

 

 

自分が不満を感じたときに取るべき行動

では最後です。

人と接していると、どうしても相手に不満を感じ、苛立ちを覚えることがあると思います。そういった場合はどう伝えるべきでしょうか?

もちろん、怒鳴ったり、ただ文句を言うのだけはご法度です。

 

①主観で自分の気持ちを素直に告げる

特に責任感を強く持つ人はやりがちなのですが、"普通は"、"一般論として"、

といったように、自分の気持ちではなく大きな主語を使って伝えようとする場合があります。

しかしこれは心の弱さの表れです。恥をしのんで素直な気持ちを伝えることが大切です。

「私の気持ちは――」から話し始めましょう。

 

②具体的な状況を説明し、対策を提案する

正直言って、人は相手の感情など知ったことではありません。

共感しようと想像することはできるのですが、同じ痛みや悩みを感じることはできません。

そういった場合にはただ「傷ついた」「悲しくなった」「ムカついた」と伝えるのではなく、

具体的にどういった部分が、何故自分の癪に障ったのかと説明しなければいけません。

そして「本当は――してほしい」といったように、①のことを意識しながら話しましょう。

人が気持ちが理解できる瞬間は、抽象的なイメージよりも具体的な内容なのです。

 

③関わらない

残念ながら、どうやっても人の話を理解しようとしなかったり、ストレスコントロールやアンガーマネジメントが苦手という人はいます。

そういった場合には、今回のテーマである"過剰な期待感"といったところを意識さえしてくれません。

そういった人とは縁を切り、距離を取って関わらないということも選択肢に入ります。

ビジネスであれば割り切って我慢するしかない部分もあるかもしれませんが、

親しい間柄の人間に、このようなパーソナリティの人間がいるべきではありません。

 

 

今回は過剰な期待感は人間関係を崩壊させるというテーマのお話でした。

特に日本人は協調性を重視しており、言葉がなくともその場の雰囲気を察することが重要だという風潮が存在します。

確かに個人の意識としてそれはとても重要なことですが、それを周囲に求めることは、僕は間違いだと感じています。

人によって千差万別な価値観があり、性格があり、それらは常に変化し続けているからです。

共通の認識を明確にするためには、自分の感情をコントロールして、誰にでも伝わる言葉に置き換えて伝えなくてはなりません。

 

ただ相手に求めるのではなく、自分が意識を変えてみるのもいいのではないでしょうか。