○○感が高すぎるせいで人間関係は崩壊する

みなさんには心から信頼している人はいるでしょうか。

例えば身近にいる家族、友人、恋人、ビジネスパートナーなど、形は違えど様々な形で信頼というものは成り立っていると思います。

 

しかし、あなたが信頼だと思っていることが、実は相手を苦しめていた可能性があるというお話を、今回はしたいと思います。

 

ちょっとした喧嘩や、積み重なる小さなストレスは、その信頼が故に起こりがちなのです。

あなたのその信頼は、正しいものでしょうか?

 

 

 

信頼ではなく"過剰な期待感"

 

日常の中で身近な誰かに、こんなふうに考えたことはありませんか?

・LINEを早く返してくれない

・既読スルーされる

・何回言えばわかるの?

・あえて言わなくてもわかってくれるだろう

・気の効かないヤツだ

・私の気持ちをわかってくれない

・あなたならやってくれるだろうと思ってた

・いちいち説明しなきゃわからない?

 

などなど、1つか2つくらいは心当たりがあるのではないかと思います。

しかしこういった思考は既に、相手に対する過剰な期待感から生まれていて、人間関係の亀裂の原因になります。

上の例はすべてあなた自信の"相手に対する要求"であり、その要求が叶わずにフラストレーションになっているだけです。

本来要求にはリターンが必要です。自分が相手になにかを求めた場合には、自分が相手にもなにかを与えなくてはいけません。

あなたは相手に自分の要求を叶えてもらった時、自分も相手の要求を叶えられていると自信を持って言えるでしょうか。

 

 

 

なぜ過剰な期待感が生まれるのか

 

過剰な期待感は、特定のその人との付き合いが長くなればなるほど起こります。

その理由は、個人の行動は無意識にパターン化されていて、一緒にいる人はそれをなんとなく察することができるからです。

 

例えば団体競技のアスリートチームや、舞台に立つようなダンスチームには、いわゆる阿吽の呼吸と呼ばれるような、

たくさんの時間を使って切磋琢磨することで、言葉がなくてもお互いの気持ちがわかるようになるといったエンパシーが起こります。

これはもちろん家族や友達、恋人などにも同様にあり、誰しもがなんとなくその心当たりがあるのではないでしょうか。

 

しかしそこには大きな誤解があります。

 

・人間は時として例外的な行動を起こそうとする

その時の気分や体調や相対する相手によって、いつもと違った行動を気まぐれに起こすのが人間です。

当然行動をプログラムされたロボットではありませんから、その人の価値基準で行動は突然変化します。

しかし身近にいるあなたはその人のそういった行動を起こす原因を突き止めることができません。

今日のあなたは昨日までのあなたときっと同じだろう、という無意識の小さな誤解なのです。

 

・なまじ親切心のある人こそ、相手に同等のレベルを求める

人によっては他人を手助けするのが趣味のようなレベルの、親切心や向上心の高い人がいます。

しかしそういった人の中には、自分は周囲によく気がつくのだから、きっと相手もそれくらい気がつく。或いは、気がついてほしいと感じることがあります。

ですが、個人によって誰に対してどれだけ重要視しているかは人それぞれであり、万人に対して愛を持って接する人もいれば、親しい人にさえもクールに接する人もいるわけです。

どちらが良い悪いというわけではなく、それぞれの価値基準なのです。

あなたが気が利くかどうかと、相手が気が効くかどうかは全くの別問題です。

 

・依存したいという気持ち

人によっては孤独を感じやすく、常に誰かと同じ時間を共にしたいと考える人がいます。

承認欲求が高く相手に共感や共存を求めるため、自分の要求が相手に通らないと気が済まないと感じてしまう思考です。

しかしこういった思考はいわば我儘で身勝手であり、相手の要求に応えるといった意識を持ち合わせることが難しいことが多いです。

メンタルが不安定なとき、人は視野が狭くなり、他人の目線にまで意識が回らないためです。

心当たりがある人は、まずは安定したメンタルを養う必要があります。

 

 

 

家族であっても他人は他人である

 

親の期待

特に親の子供に対する意識として、自分が育ててきた、自分があらゆることを教えてきたという時間と経験で、

自分の子供には自分の思想が重なっていると錯覚している場合があります。

それに、時間をかけるほど成長が感じられるので、その経験から、自分が助言したり手助けすればこの子は思った通りに成長してくれるという期待感が膨らみます。

 

しかし、子供は成長するにつれ、家族以外のあらゆる人間との出会いから刺激を受け、独自に思想が構築されていきます。

これまでは自分が手をかけないと生きることができなかったところから、自立し自分の力で生きられるように成長を遂げます。

ところが親の立場としては、どこかもの寂しさを感じ、時にはそれが裏切りなんじゃないかと考えが発展する場合があります。

 

人は成長するもの。自分とは違う考え方を持つ子供をいつかは受け入れなくてはなりません。

 

 

子供の期待

子供にとって親は、自分の我儘を聞いてくれる存在です。

特に分別のつかない幼少期には、厳しく叱られながらも、やはりどこか可愛いらしいと思う気持ちから甘やかされる場面まであったはずです。

そうした親の態度から、信頼関係を築けている関係であるほど、子供は親に甘え、自らの感情を言葉で伝えなくなります。

それまでずっと親は言葉がなくとも理解しようと努力してきたためです。

 

そして、次第に成長し反抗期に差し掛かった時、自分の本心とは正反対の態度と言葉を示そうとします。

このときの親のメンタルも育っていないと、お互いの感情のなすりつけ合いが起こり、お互いに言葉を失い、態度に攻撃性が増していきます。

 

子供のが故の未熟なメンタルではかなり難しいかもしれませんが、お互いのより良い関係のためにも、

親も決して立派なものではなく自分と共通する心を持った人間であるという認識を、忘れてはいけません。

 

 

男性の女性に対する期待

基本的に女性よりも、男性の方がコミュニケーションが不得意とされています。

自分の感情よりも、合理性や理屈を重視するためです。

また、社会的地位や所得などを大きなステータスと捉えており、激しく競争することを好む男性もたくさんいます。

しかし、自分がより男性的であるべきという欲求や使命感から、女性は弱い生き物である、女性は自分に尽くすべきである、女性には自分の言葉ではなく行動から感情を読み取ってもらなわくてはいけない、

といったような立場を重視する期待感を持ってしまいます。

 

ですが、女性にも女性なりの強い意思があり、決して立場が下になるというわけではなく、あくまで非対称的であり、同等な関係性であることが確かです。

女性との関係を上手く構築するためには、内面の繊細な感情を察知することができ、それを明確に言葉で伝えるといった努力が必ず必要になります。

 

 

女性の男性に対する期待

女性はコミュニティーの中で、調和や協調性を重要視する傾向にあります。

相手の機嫌を損なわないために嘘をつき、場が乱れないように真っ先に自分がサポートに周り、必要であれば謝罪し、人間的な情報を巧みにコントロールし、水面下で支配しようとします。

とりわけ表情や態度から相手の感情を読み取る能力に長けており、また自分の感情と態度を必ずしも一致させるわけではなく、より良い関係構築のために接し方を工夫できるという特徴を持っています。

 

しかし、そういった感情的側面を重視したコミュニケーションを男性にも強く求めることがあります。

男性は言葉数が少なく、自分や相手の感情に無頓着であることが多いため、不機嫌なときには黙ったり、気持ちを隠そうとします。また、こちら側の気持ちに気を掛けることが苦手な人も多いでしょう。

そうしたときに女性は不満を感じます。なぜ自分の気持ちを理解してくれないのか、なぜ察してくれないのか、といったような感情的な期待感を持ってしまいます。

 

男性と接する場合には、自分の気持ちをただ態度に出したり言うだけではなく、具体的に出来事や状況を説明すれば、より理解が深めてくれるのではないでしょうか。

 

 

 

"過剰な期待感"を持たないようにするための意識

ストレスやトラブルがなく、対人関係を良くし、それを維持したいのであれば、個人がそれぞれに持たなければいけない意識があります。

それは以下の3つです。

 

①自分と相手は(例え家族であっても)全く別の他人である。

②幸せは自分が与えるものであり、自分が相手に求めるものではない。

③相手が自分に施しをくれるかどうかは、相手の自由である。

 

人間関係は相手に何かを求めた時点で崩壊へ向かいます。それ以上に、自分が相手に何かを与えなくてはなりません。

もし自分が相手に対してお願い事をし、それを要求通りの答えてくれた場合はラッキーなのです

決してそれが当然のように思ってはいけません。親しい人が毎日自分のためにしてくれることがもしあれば、それはたまたま毎日してくれているだけに過ぎないのです。

 

また、自分が与えたことに対して見返りを求めてはいけません。あなたが相手のためを思ってやったことは、あなたのエゴなのです。相手のためではなく、本心は自分のためです。

親切や手助けはとてもいいことなのですが、自分が相手をただ好きで、好き好んでやっているだけなんだ、と思うことが大切です。

 

 

 

自分が不満を感じたときに取るべき行動

では最後です。

人と接していると、どうしても相手に不満を感じ、苛立ちを覚えることがあると思います。そういった場合はどう伝えるべきでしょうか?

もちろん、怒鳴ったり、ただ文句を言うのだけはご法度です。

 

①主観で自分の気持ちを素直に告げる

特に責任感を強く持つ人はやりがちなのですが、"普通は"、"一般論として"、

といったように、自分の気持ちではなく大きな主語を使って伝えようとする場合があります。

しかしこれは心の弱さの表れです。恥をしのんで素直な気持ちを伝えることが大切です。

「私の気持ちは――」から話し始めましょう。

 

②具体的な状況を説明し、対策を提案する

正直言って、人は相手の感情など知ったことではありません。

共感しようと想像することはできるのですが、同じ痛みや悩みを感じることはできません。

そういった場合にはただ「傷ついた」「悲しくなった」「ムカついた」と伝えるのではなく、

具体的にどういった部分が、何故自分の癪に障ったのかと説明しなければいけません。

そして「本当は――してほしい」といったように、①のことを意識しながら話しましょう。

人が気持ちが理解できる瞬間は、抽象的なイメージよりも具体的な内容なのです。

 

③関わらない

残念ながら、どうやっても人の話を理解しようとしなかったり、ストレスコントロールやアンガーマネジメントが苦手という人はいます。

そういった場合には、今回のテーマである"過剰な期待感"といったところを意識さえしてくれません。

そういった人とは縁を切り、距離を取って関わらないということも選択肢に入ります。

ビジネスであれば割り切って我慢するしかない部分もあるかもしれませんが、

親しい間柄の人間に、このようなパーソナリティの人間がいるべきではありません。

 

 

今回は過剰な期待感は人間関係を崩壊させるというテーマのお話でした。

特に日本人は協調性を重視しており、言葉がなくともその場の雰囲気を察することが重要だという風潮が存在します。

確かに個人の意識としてそれはとても重要なことですが、それを周囲に求めることは、僕は間違いだと感じています。

人によって千差万別な価値観があり、性格があり、それらは常に変化し続けているからです。

共通の認識を明確にするためには、自分の感情をコントロールして、誰にでも伝わる言葉に置き換えて伝えなくてはなりません。

 

ただ相手に求めるのではなく、自分が意識を変えてみるのもいいのではないでしょうか。

"褒める"と"叱る"の誤解

みなさんの中には、自分に子供がいたり、親戚である甥っ子や姪っ子、はたまた職場の部下や、部活の後輩など、様々な場面で自分が教育者となって、指導しなければないけない対象がいる人もいると思います。

 

そういった中で、どうすればその人の能力があがるのか、新しいことを記憶させることができるか、やってはいけないことを自覚させるかなど、

様々な試行錯誤や苦難があるかと思います。

 

教育の方法は人によってたくさんの考え方があるかと思いますが、

僕が自分の親や周囲の人間を観察していて、疑問に感じたこと、気づきになったことを書き記したいと思います。

 

 

 

モチベーションの場合分け

 

まずは指導の方法の前に、人間が起こす行動を種類別に分けてみます。

以下のような組み合わせとなります。

 

やりたいと思うし、やらなければいけないこと

やりたいと思うが、やらなくてもいいこと

やりたくないと思うが、やらなければいけないこと

やりたくもないし、やらなくてもいいこと

 

モチベーションと必要性の高低から4つの組み合わせができあがります。

順に例を解説します。

 

やりたいと思うし、やらなければいけないこと

これが既にたくさん浮かび上がるという方がいれば、とても優秀です。

やらなければいけないことというのは、将来収入を得るために勉強したり、不自由なく生活するために家事炊事をしたりなど、

生きてる上で必ずしなくてはいけないことを指しています。

こういったことが自分のやりたいことだ!と自信を持って行動している人は、自分の人生の大きなアドバンテージとなることでしょう。

 

やりたいと思うが、やらなくていいこと

これは主に娯楽や宗教を指しています。

例えばスポーツやテレビゲームなど挙げるとキリがありませんが、(収入を得れば別ですが)自ら好んでしている趣味などです。

宗教については個々によるそれぞれの価値観を基に行動(祈り、儀式など)を起こしている状態です。本人にとっては大切ですが、他人にとってはそれほど重要でないことも多いです。

 

やりたくないと思うが、やらなければいけないこと

これはにも記載しました、生きてる上で必ずしなくてはいけないことに対して、どこか億劫な面倒くさい気持ちが働いている状態です。

多くの人はやらなければいけないことを、大なり小なりのストレスを抱えながらしているはずです。

 

やりたくもないし、やらなくてもいいこと

割合でいうと少ないかもしれませんが、これは集団の中で昔から決められたルールに従ったり、趣味を他人と分かち合おうとしたりすることが挙がります。

ある人はの状態でやっていることが、別の人にとってはだったなんてことがよくあります。

 

 

内発的動機づけ外発的動機づけ

に共通する"やりたいこと"というのは、心理学の言葉では内発的動機づけと呼ばれています。

内発的動機づけとは、収入を得たり、ご褒美がもらえたり、感謝の言葉をもらうといったような外部からの対価がなくても、

その行動自体に本人がモチベーションを感じているという状態です。

 

一方外発的動機づけとは、そういった対価を得られるということを理解した上で、それがモチベーションとなっている状態です。

多くの人は収入を得るために仕事をしていますが、面倒くさいと感じながらでも毎日こなすことができるのは、

対価として報酬を貰えるという自分の外側にあるメリットを動機にできるからです。

 

 

 

多くの人がやりがちな間違った指導

 

以上のように行動を4つに分けた上で、多くの人が間違いがちな指導法について考えていきます。

 

 

アンダーマイニング効果

アンダーマイニング効果とは、もともと内発的動機づけ(自らの行動そのものがモチベーションになっている状態)のものに対して、外部からの報酬を与えた後、

その報酬が与えられなくなったことでモチベーションが下がってしまういう心理効果です。

 

 

例を紹介します。

子供が家に置いてあった本を読み漁り、新しいことを覚えたとします。

すると、その本の新知識から発展し、更に別の本を読むにつれて、いつしかその子にとっては内発的な動機で勉強し、それが趣味のようになります。

こういったとき、親の立場としては子供の成長を感じられて多いに喜び、褒めようとします。時にはご褒美をあげることもあるでしょう。

そうすると子供は、親が喜んでくれるといったことがモチベーションとなり、更に勉強を進んで取り組もうとします。

 

しかしここからが問題。

数年経過し小学生、中学生へと成長する上で、勉強することは当然のようになります。

すると親は学校などで勉強するのは当たり前、という思考に変わり、子供に褒めたりご褒美をあげたりすることが少なくなります。

すると子供は対価を得られないという事実からモチベーションが下がり、昔は進んでやっていた読書や勉強に手をつけなくなってしまいます。

 

内発的動機づけから、外発的動機づけに変わった瞬間です。

これは勉強のみならず、スポーツや音楽などでも同じことが起こります。

 

子供の内発的な動機を維持するためには、人によっては驚くかもしれませんが、

スルーし見守っておくのが正解です。

先程の例でいくと、親が子供にできる唯一で最大のご褒美は新しい本を買ってあげる、といったところでしょう。

 

趣味を仕事にするのは難しいというテーマもよく耳にしますが、

こういったアンダーマイニング効果もその理由の1つといえるでしょう。

 

 

ではどういったときに褒めればいいの?

その答えはずばりのときです。

例えば部屋の物を片付けたり、母親の家事を手伝うなどは能動的にしようとしない子供も多くいます。

特に成長期の中で2回起こる反抗期中は厄介に感じるでしょう。

そうしたとき、多くの場合親は子供を叱りつけようとします。時には大声で怒鳴ったり、よくはないですが手をあげてしまうこともあるでしょう。

しかし、そういった罰は人のモチベーションを激しく低下させてしまいます。

 

 

心理的リアクタンス

人は自由を束縛されていると感じたとき、その自由を取り戻そうとする心理が働きます。これを心理的リアクタンスといいます。

親は家の手伝いや勉強をするように子供に伝えるのですが、それを束縛と捉えた子供は反発的な態度を取ります。

ある日、気が変わってこれから勉強をしようと思ったときに限って、親はいつものように「いつになったら勉強するの!?」と言ってきて、

(あー、なんだかやる気がなくなった…)と感じた出来事が記憶にある人もいるのではないでしょうか。

 

 

エンハンシング効果

エンハンシング効果とは、賞賛することでその人のモチベーションが高まるという心理効果です。

褒められたくてやるといった行動は、外発的動機づけとなります。

子供や配偶者、部下に面倒だけどやってもらった後は、それがどんなことであっても賞賛や感謝の言葉を送りましょう。これは何歳になってもです。

間違っても、面倒だからとやらなかったことに対して、文句や罰を与えてはいけません。

 

 

 

規制は無意味

ではについてはどうでしょうか。

例えば家事や勉強など、やらなければいけないことを放置して、ゲームをしたりネットを見たりしている状態は誰にでも起こりうるかと思います。

もし子供など身の回りの人がそういう状態だったならば、厳しく叱りつけることもあるかもしれません。

しかし、そうした対処は彼らの悪習慣の拍車をかけることになります。

 

 

カリギュラ効果

人は禁じられたものほどそれに興味を持ち、手にしたい、達成したいと感じるようになります。これをカリギュラ効果といいます。

ゲームやネットを禁止にすると、余計にそこへの注目が高まり、多数の方法を使ってそれらを得ようとします。

時には家のお金を盗んでゲームを買ったり、インターネットカフェに通ってしまうなんてこともありえます。

更にそのお金を封印することで、窃盗などの犯罪に手を染める可能性も出てきます。

 

 

ゲーミフィケーション

そもそもなぜ娯楽を優先してしまうのか。

例えばゲームなんかは、適度な難易度に対する適度な報酬が緻密に計算されて作られています。

 

こんな実験があります。

子供を何人か集め、輪投げをさせます。その輪投げには距離が短く簡単なAコース、適度な距離と適度な難易度のBコース、遠い距離に設定された難しいCコースの3種類があります。

子供をしばらく遊ばせて観察していると、AコースやCコースに比べて、Bコースは3倍程の子供たちが並んだそうです。

つまり人は、おおよそ50%くらいの成功率のものに挑戦したくなるという心理が働きます。

 

ゲームは攻略すると得られる達成感、近年では投資することで確率の低いキャラクターを入手できるガチャ要素など、様々な快感を得られる要素が詰まっています。

それに対して生活に必要な行動というのは、快楽を得られるほどの達成感を感じることはありません。

この2つを比較したときに、前者を優先してしまうのは当たり前の話なのです。

 

では、後者を優先させたい場合はどうすればよいでしょう?

もし娯楽よりも家事や仕事などを優先させたい場合には、難しいですが娯楽よりも強い達成感を与えなくてはなりません。

 

そのための方法をいくつか考えてみます。

 

・成長を実感させる

課題にはチェックリストを作り、達成したことを可視化するといいでしょう。

昨日よりも+1個新しいことができたという喜びはとても大きいものとなります。

ゲームでいうところのログインボーナス※1や、クリアチェッカー※2などに当たります。

もし子供や配偶者にこれをする場合は、達成したことによる報酬を与えれば良いわけです。

※1 毎日1回プレイをスタートするだけで得られる報酬のこと。

※2 ゲーム内における課題リストのこと。達成することで記録や報酬が得られる

 

・娯楽のデメリットを可視化する

娯楽は時間とお金を浪費し、その対価として達成感を得られます。

しかし多くの場合は達成感は一時的なものとなり、再び沈み、さらなる達成感を得ようとします。

もし目に届く範囲で娯楽を行っている場合は、そこへ費やしている時間とお金の合計を計算し、提示してみるといいでしょう。

 

他にも様々な方法があるかと思いますが、まとまり次第追記していきます。

 

 

叱っていいのはどういうとき?

ここまでで実は、叱ることへのメリットは書かれていません。

では叱るべきなのはどういうときなのかを考えます。

 

僕が思うにそれは、法律に違反をしてしまうときや、人命に関わることをしたときだと考えています。

大人になると法律(特に刑法)を犯してしまうと厳しいペナルティが課せられます。

しかし特に子供が幼く物事の分別がつかないときには、親や身近な大人からペナルティを与えなくてはいけません。

また、包丁やストーブなどの、使い方を間違えれば健康や命に関わることについても、叱る必要性があるでしょう。

 

 

 

罰は諸刃の剣

叱りや罰、ペナルティで人を操ることには大きなメリットとデメリットが存在するため、使い方が少し困難となります。

 

あるネズミの実験です。

ネズミを2つに枝分かれしている道を歩かせます。道の先のA地点にはエサがあり、もう片方のB地点にはなにもない状態です。

ネズミは試行錯誤しエサのあるA地点にたどり着き、道の先にはエサがあるということを記憶します。

次にB地点に電気ショック(罰)の仕掛けをし、再びネズミを歩かせます。

するとエサにたどり着く前に、B地点にたどり着き罰を受けたネズミは、再び歩くことをやめてしまいます。

 

つまり罰はトラウマ(危機回避能力)として記憶に残り、その後の行動を途絶えさせる効果があります。

罰を与えることには、行動を無理やり抑制する危機感を刷り込ませるといったメリットがある反面、

自ら行動を起こさなくなる大きなストレスを抱える自己肯定感がなくなるといったデメリットも存在します。

 

何十年か前は躾に体罰は当たり前とされていた時代もありますが、とりわけ強い罰を受けた人は思考を止め、自らの意思で行動を取ることが難しくなります。

なので自分が上の立場に立ったときに、最も簡単に他人を操作する方法として当然のように使われていたわけですね。

 

罰を与えるのはその人が危険を危険だと感じていないときや、倫理的に悪であることを悪だと感じていないときのみにしましょう。

 

 

 

まとめ

今回は人の行動とモチベーションには4パターンがあることを解説しました。

 

やりたいと思うし、やらなければいけないこと

やりたいと思うが、やらなくてもいいこと

やりたくないと思うが、やらなければいけないこと

やりたくもないし、やらなくてもいいこと

 

多くの人はで褒め、で叱っていましたが、

効果的な方法はでスルー興味を切り替えは褒めるとなりました。

全体としてはに持っていけることが理想となりますね。

もしあなたの身近な子供や家族、部下などの教育、指導に悩んでいたら、

参考にしていただけるととても幸いです。

 

 

 

について

 

の場合で困ることといえば、あなたがだと感じているが、相手は或いはだと感じているときです。

もし相手がのときなら「あなたは興味があるかもしれないけど、私はあまりそうでもないです」とちゃんと伝えたり、

相手がのときには「本当にそれは必要なことだと思いますか?」と疑問とその根拠を提示してみるといいでしょう。

 

また、あなたがだと思って身近な人にも共有したいと考えていても、相手はそれをだと感じていることもあるかもしれません。

そういった場合には一度立ち止まって、相手にもそれを必要かどうかを考えてみると良いでしょう。

性格が悪い人の正体

あなたは性格が悪い人に遭遇したことはありますか?

そしてその性格が悪い人によって、傷つけられたことはありますか?

 

 

YESと答える人はかなり多いと思います。しかしそれはその人の性格が悪かったから傷ついたというわけではありません

では人はどういう瞬間に、その人の性格が悪いと評価してしまうのでしょうか?

今回はその原因を分析していきたいと思います。

 

 

 

まずは"性格が良い人"とは、どんな人か。

 

性格が良いという評価はポジティブで良いイメージを与えるかもしれませんが、そう評価した当人の思考は実に残酷です。

 

それはなぜか。

人は自分にとって都合が良いと思った人に対して、"性格が良い"と評価するためです。

 

つまり、自分が思ったときに、思った通りに言葉や行動を起こしてくれた人に満足感を得られ、その人に対して好感を示すわけですね。

性格が悪いということ以上に、性格が良いというのは主観的で、身勝手な評価を下してると言えるでしょう。

 

待て待て、例えばある施設や団体に大金を寄付したり、対価なしに人に手助けできる人は性格が良いのではないか?

そういう評価の仕方は主観的ではないだろう。と考える人がいると思います。

 

しかしそれも100%主観です。社会的に自ら貢献できることは善という、社会が作り上げた風潮、雰囲気でしかありません。

その雰囲気にその人の価値観が合わさっただけなので、決して客観的な良い評価とは言えません。

 

 

 

性格が悪い人

 

では逆に性格が悪いと評価するのはどんなときでしょうか。

全人類に共通することですが、人は悪口を言われたり批判されたり、自分の価値観を否定されると怒りや悲しみを感じます。

そして、自分に対してそういった行いをしてきた人のことを"性格が悪い"と評価します。

また、そういったネガティブイメージのある言葉を、人は次の3つの方法のいずれかを使って他人に発します。

 

①本人に直接批判する

②本人には言わず第三者に批判を告げ、それが巡って自分の耳に届く

③無意識に考えを発言したことが、結果としてその人を傷つけている

 

どれも心当たりがあると思います。順番に解説します。

 

①本人に直接批判する

ある意味最も感情と行動が一貫している方法といえるでしょう。

この方法を取る人はとりわけ合理主義的であり、決断や結果を重んじる傾向にあります。

また強い自信を持っており、メンタルが適度に安定しています。

 

②本人には言わず第三者に批判を告げ、間接的に本人に伝わるようにする

特に女性の間で起こりがちなのですが、いわゆる噂話やゴシップといったものです。

この方法を取る人はメンタルが弱く、他人から批判されることを極度に嫌います。

批判する相手に敵対するというよりも、共通の敵を作って味方を作ろうとする行動といえるでしょう。

 

③無意識に考えを発言したことが、結果としてその人を傷つけている

これは本人は相手が傷つく言葉でないと思っていても、結果としてそれを聞いた相手は傷ついてしまっている、という状態です。

言った本人には悪気がないため、その後のコミュニケーションの仕方が非常に重要となってきます。

 

主にの性格は相反しており、この両者がお互いのことを性格が悪いと評価することが多いです。

のタイプはのタイプに対して、言いたいことがあるなら面と向かって言え、卑怯者。と思い、

のタイプはのタイプに対して、人でなし、その場の空気の読めない自己中。と思います。

 

はより複雑です。一見は最初に発言した側の問題かと思われますが、実際はその後の受け手の行動で良し悪しが左右します。

そもそも言った方は悪気がないわけですから、相手を傷つけたという事実すら認識していません。

このとき受け手は相手に対して、「あなたのその発言は私にとっては傷つく言葉だった」と言うべきなのですが、多くの場合は堪えて隠そうとします。

 

のパターンに陥ったときには、次の2つの状態が満たされた場合にのみ、円滑なコミュニケーションが構築されます。

 

A. 受け手は自分が傷ついたという事実を正直に伝える。

B. それを聞いた送り手は、その事実を素直に認め謝罪する。

 

しかし、自分の立場を守るためなのか、特にBができない人が多くいます。

傷ついた事実を知った後に、開き直って逆ギレしたり、自分の考えを正当化しようとしたりします。

また、そうなる可能性を受け手は強く危惧するため、素直に打ち明けるという行動が取れなくなります。

つまり双方が歩み寄らなければ、改善しないコミュニケーションとなるわけです。

 

 

 

本当に"性格が悪い人"は、他人の性格を評価しようとする人である。

 

ここまでの観点から、いわゆる性格が悪い人というのは、他人の性格を良し悪しで判断してしまう人ということになります。

性格がいい人という判断→自分にとって都合のいい人

性格が悪い人という判断→自分に対して批判をしてきた人

となり、どちらも主観による身勝手な評価ということになります。

 

しかし人の性格は、その人の育ってきた経験や環境、人間関係、健康状態などによって常に変化し続けています。

そのためある瞬間にはとても良い人に見え、ある瞬間はとても嫌な人にも見えるふうに、誰もがそうなっています。

 

もし(この人は性格が悪いなあ)と感じたときは、一旦立ち止まって改めて考えてみましょう。

その人は何故その発言をしたのか、なぜその行動を取ったのか。

たまたま嫌なことが続いて苛立っていたのかもしれない。寝不足でご飯もろくに食べられていなかったのかもしれない。

といったように、自分にも起こりうる状態を想定してみましょう。

もしあなたが誰かの性格が悪いと感じたときは、あなたも周囲の誰かから性格が悪いと思われている可能性も充分にあります。

 

 

 

性格が悪いと評価する人は決まってメンタルが不安定である

 

自分に対する批判ならまだしも、自分とは一切関係ない他者に対して、性格が悪いと評価する人もたまにいます。

例えば、芸能人の不祥事や友達や周りの人のトラブルを耳にし、その人の人格を評価したりします。

 

そういった世間の声が気になるのは、その人自信がコンプレックスとして普段恐れているものだからです。

周りからの自分の評価が気になるわけですね。

そうした自分に向けられる視線を気にしすぎるあまり、メンタルが不安定となり、思考の幅が減り、

物事を良いか悪いか、正義か悪かなどといったように、物事を二極化させて考えがちになってしまいます。

 

もしこれを読んでるあなたにその心当たりがあれば、まずは自分の性格の良いところ、悪いところの両方を受け入れてみましょう。

人の性格は多様なので、自分の多様な性格すべてを認められれば、他人の多様な性格もすべて寛容できるようになるはずです。

 

人というのは善悪で決められないほどグレーなものばかりです。グレーなものはグレーなまま受け入れてみてはいかがでしょうか。

プライドは心の腫瘍である

ところで皆さんの周りには、プライドが高い人はいますか?

プライドが高いと一言で言っても、いろいろな考え方があると思います。

 

・極度の負けず嫌い

・こちらの言い分を必ず否定し、持論を展開してくる

・注意、指摘をするとすぐヘソを曲げる

・話し方がいつも喧嘩腰

・話す内容よりも立場を気にしやすい

・完全に非を認めない限り謝罪をしない

 

などなど。

本人は自覚しているのか、無自覚なのかはわかりませんが、

他人に無意味に緊張感を与えたり、マウントを取ろうとしてくる人は、僕たちの周りには意外といたりします。

例えばそれが家族や友達の中にいたときは、

(決して悪い人ではないんだけど…、一緒にいるとたまに疲れる)

(普段は面倒見が良くて優しいんだけど、時々ねちねちと説教してくる)

など、身近にいるからこそ良いところを見い出したいのに……、なんて思う方もいるかもしれません。

そんなプライドの高い彼らには、その態度や言動の裏に隠された本音というものが存在します。

今回はそんな彼らの本性を紐解いていこうと思います。

 

 

 プライドは弱点をカバーするプロテクターである

 

プライドの高い人の心の内に眠るのは、自分に対する自信のなさです。

彼らが普段、自分の視界に映し出しているのは優秀な他人であり、そんな人達と自分とを比較して、劣等感に駆られている場合がよくあります。

 

例えば男性の場合だと、

・年収が低い

・仕事におけるスキルが低い(または持ち合わせていない)

・カワイイ(美人な)彼女や奥さんがいない

・体力がない

など。

 

女性の場合だと、

・自分より美人だったりスタイルの良い子がいる

・イケメンでお金持ちの彼氏や旦那さんがいない

・男性と比較してキャリアを獲得できてない(収入や地位が低い)

など、様々あると思います。

 

彼らは心の奥底に強いコンプレックスを抱えており、それを他人にさらけ出してしまうと、自信の敗北立場を奪われる恥をかかされるなど、自分の存在をまるごと否定されるんじゃないかという不安感に苛まれています。

そんなネガティブな心理状態を守るために、強い態度や言動を取るといった方法で彼らは防御壁を張ろうとするわけですね。

 

 

 

 僕は以前、プライドが高かった

 

私事になります。

僕は他人から自分の欠点を指摘されるのが、すこぶる嫌いでした。

例えばファッションセンスがダサいと言われたり、自分が気にしている容姿をいじられたり※1、対人関係におけるマナーやモラルの悪さを指摘されると、

だいたい上手く切り替えしたり、反論や反省したりすることもできずに、イライラしていました。

内向的な性格だったため喧嘩に発展することこそはありませんが、露骨に態度を悪くしたり、対象の人間から避けたり悪口を吐いたりしていました。

これはいわゆる逆ギレというものですが、逆ギレをしたときの相手の反応は決まって2パターンで、

・面白がって更にからかって笑ってくる

・思いやりを裏切られたと怒るか落ち込む

このどちらかです。

明らかにいえるのは、こうした僕の反応によって、対人関係が良くなった試しが一度もなく

必ず僕と彼らとの関係には亀裂が入っていくことしかありませんでした。

プライドの高さが露呈することで得られるメリットがあるかでいうと、僕の経験では間違いなく皆無だったのは確かです。

 

 

 プライドがない(隠せる)人の方が、圧倒的に他人に好かれるという事実

 

プライドが高さが欠点となっていた僕に、考えを改めさせたのはお笑い芸人の存在です。

芸人が何故面白いのか、何故ユーモアがあって人を惹き付けられるのか、その答えはいじられ上手ということでした。

先程プライドの高い人の特徴として、自信の敗北、立場を奪われる、恥をかかされるといったことに不安感を持つと書きましたが、

あろうことか芸人さんたちは、そういった要素を自ら進んで貰いにいくわけです。

勝負事には負けに行ったり、集団で仲間外れにされたり、辱めを受けたりした後、その後のリアクションや発言で笑いを取るわけです。※1

(もちろんこういったのは見せ物としてであり、おそらく実際の人間関係とは異なります)

弱点を隠すどころかさらけ出すことで、他者に親近感を与えたり、安心感を与えたりすることで好かれるわけですね。

お笑い芸人の中でもトップに躍り出る明石家さんまでさえも、TVの前では後輩芸人にさえもいじられ、それを笑いにして切り替すわけです。

 

 

 プライドの高い人が好かれないワケ

 

プライドの高い人の特徴として負けず嫌いを挙げましたが、決して負けず嫌いの人は嫌われる、というわけではありません。

では人に好かれる負けず嫌いな人と、人に嫌われる負けず嫌いな人との違いとは何なのでしょうか?

 

それは、自分の弱さを知っている(認められている)かどうかです。

 

自分の弱さを認められている人は、他人の弱さを認めることができます。

そのため、相手の性格や心理を慈しみ、受け入れることができます。それはつまり相手に対する共感を表すわけですから、他人から敵視されることも少なくなるわけです。

 

自分の弱さを認められていない人は、他人の弱さを認めることができません。

そのため他人の弱点を平気で指摘し、蔑むことができます。また、自分の弱さを認められていないがために、それを指摘されると激昂するわけです。

「お前は人を散々悪く言うくせに、逆に言われたらすぐ怒るよな」なんて思うかもしれませんが、

カニズムとしては一応理に適ってるわけですね。

 

弱点を知る負けず嫌いはそんな自分に直向きになれるため、そういったコンプレックスをバネに成長することができます。

そうやって前を向いて頑張れる力は、多くの人を魅了できます。

一方、弱点を認められない負けず嫌いは、自己を肯定するために自分より下の人間を作り、攻撃しようとします。

攻撃された人間が、彼らを好きになるわけはありませんよね。

 

 

 

 プライドは心の腫瘍である

 

プライドは満たされない承認欲求から生まれます。それは最初はとても小さなものであり、特に幼い頃に家族や友達などに対して起こります。

通常誰しも承認欲求はあるのですが、例えば親が放任主義だったり、逆に過干渉による躾(激しく怒る態度や人格否定など)などに該当する人は特に、自分は他者から認められない人間なんだと無意識に察知し、不安になります。

そういった心理のまま成長すると、(そうしたプライドが傷つけられるのが嫌で)10代の頃は無理して目立とうとしたり、逆に人から避けようとしたりします。

しかしそういった行動は空回りし、更に他人に認められることができず、また承認欲求は加速していきます。

また抱えている不安感から自分の成長を認めることができなくなり、それがコンプレックスとなっていきます。

他人の認められようと行動する→煙たがられて避けられる(又は自ら避ける)→承認欲求が更に生まれる→他人に認められようと行動する

といった悪循環が生まれ、プライドが膨れ上がっていくわけですね。

 

やがて成長するにつれて大きくなったプライドは、知識と経験を以って多くの人間を攻撃し、突き放そうとします。(本人は気づいていないことも多いですが)

例えばお店の店員さんに横柄な態度を取る人、周りに人がたくさんいる中で大声で叱る人、

二言目には罵詈雑言が出る人、自分の奥さんに過度に偉そうで攻撃的な人など、

見たことある人は多くいると思います。

 

こういった人達は、それまでの人生の過程でプライドという名の腫瘍を鎮めることができなかった人です。

あなたの身近な人にこういった人はいますか?または、あなた自信はいかがでしょうか?

 

 

 

 プライドをなくす(隠す)ためには

 

そういった他者を攻撃してしまう原因となるプライドを抑えるためには、

先程も書きましたが、自分の弱点を認め、許してあげるということが必要です。

 

まずは大前提として、自分の弱点をさらけ出すと、大抵の人は優しく接してくれます。

(稀にそうすることで更に攻撃してくる人間もいるのですが)

ですので、自分の弱点をオープンにすることで足元をすくわれる、隙を狙ってくるだろうという先入観を捨てましょう。

また、自分の弱点や欲求、無意識に感じていることは何なのかを、細かく整理する必要があります。

 

自分の弱点を可視化した後、それをゆっくり受け入れるようにするのです。

(本ブログでそのやり方を詳しく書こうと考えておりますので、また後ほど)

 

 

 

 プライドが高い人との接し方

 

では最後に、プライドが高い人との付き合い方の一例を紹介します。

 

・その人の誇っているもの(性格や特技など)を思い切り称賛する

彼らは常に内心、自己承認を求めていますから、それを満たせてあげると機嫌がよくなります。

むしろ繊細で感化されやすいため、普通よりも一層「いいヤツだ」と付き合いやすい相手として認識されることだと思います。

 

・こちらが素直な気持ちで質問をする

プライドが高い人はマウンティングを取ってくることがしばしばありますが、そこで自分の感情を一旦置いておいて、素直な気持ちで相手に諭すように尋ねるようにしましょう。

マウンティングを取ってくる人は発言が論理的でないことが多いです。

「どうしてそう思ったの?」「それで、あなたの気持ちは?」がキーワードです。

 

・さらに上からマウンティングを取る

もしあなたが、その人よりも誇れる部分があるなら武器として使ってみてください。

端から見ればみっともない戦い方ですが、目には目を、プライドの高い人は上から来られることを非常に恐れています。

 

・むしろ接しない

もしその人があなたにとって重要な人物でない場合には、関わる必要性はありません。

こちらがストレスになったりメンタルが衰弱する必要性はないので、やばいと思った人とは付き合うのをやめましょう。

 

 

以上、今回はプライドの高い人についてでした。

人間という大きな括りの中で、プライドを誇示する人間はたくさんいます。

むしろ大人になってから経験を積み重ね、自分の立場や責任感からプライドが生まれ、それが大きくなってくることが当然あります。

もし自分がそうなったときに、一旦立ち止まって、自分の弱点を直視し、弱みをさらけ出すことはできるでしょうか?

表面的な態度に見せずとも、自分の弱点を克服できず、恥の感情から逃げる人は大勢いると思います。

僕自身、未だにそれを完全に克服できているとは言い切れませんが、自分の人生や人間関係を豊かにするために、自分の弱さに向き合っていきたいと思います。

 

みなさんは、いかがでしょうか?

 

 

 

※1 お笑い芸人の場合は、TV出演に報酬があったり、芸人同士の独特な人間関係から、暗黙の了解でいじりが許されているという内情があります。

信頼関係を越えたいじりはいじめや嫌がらせに発展しかねないので、内容によっては然るべき対応を取ることも必要です。

 

個人主義者と社会主義者

疑問に感じたことはありませんか?

決して悪い人ではないんだろうけど、イマイチ波長が合わない、気に食わない―――。

いい人だとは思うんだけど、なんとなく長い時間一緒にいると煙たく感じてくる。

 

 

その理由の1つは、人は大きく分けて、

個人主義or社会主義者が存在するからです。

 

 

まずはそれぞれの特徴を紹介します。

 

個人主義

・個々それぞれが、千差万別の価値観を持っていると捉え、各々が独立していると考えている。

・自分の行動を自分でコントロールできている状態を好み、まずは自分の健康や夢を最優先に生きている。

・独立心が高く、完成された個々人が集まって社会が形成されているという考え方を持つ。

 

社会主義者

・人と人との繋がりを大切にし、自分はそれらを繋げる役目があるという責任感を強く抱いている。

・集団をまとめるためにルールや風習に重んじ、経験や歴史、伝統などを大切にする。

・お互いが誠心誠意救いを施すことで、社会の調和が取れているという考え方を持つ。

 

 

個人主義はいかに主観的に見て自分が幸福であるかを考えることが多いため、基本的には他人の行動に意見したり、批判することはありません。

そのため常に精神的に満たされており、より自然に自由を求めています。

自分に対する批判が起こったとしても、自分なりの哲学を強く持っているため、激しく乱されることはありません。

 

一方で、集団においての協調性を軽んじるきらいがあり、いわゆる空気の読めない人として捉えられることがあります。

例えば決められた時間を守れずに遅刻したり、メールやLINEの返信が遅かったりなど、対人においてはトラブルを起こしてしまうこともしばしばあります。

逆に相手が遅刻したり、レスポンスが遅い場合にも激昂することなく許容できるところがあるので、ある意味執着を持たない性格の持ち主といえますね。

また、社会的規範について頓着しないために、モラルやマナー、デリカシーが欠如している場合もあります。

 

 

社会主義者は集団において、より団結し人と人が助け合うことで平和が成り立つという考えをベースに行動を起こします。

特に外向的な人はその中でも自ら名乗りをあげ、リーダーシップを取って集団を統率しようとするでしょう。

彼らにとってはそこにいる全員が足並みを揃えて、同じ時間や価値観を共有できることこそに幸福を感じます。

 

ところがそうすることで浮かび上がる問題も。

社会主義者は自分の意識を高く持つため、責任感や役割を他人にも求める傾向があります。

自分が与える側、施す側に立つことが多いため、それ自体に満たされた感情を持つのですが、時々リターンがもらえないことで憤ることもあります。

また考え方が二極化し、合理的な少数意見よりも、非合理的な多数意見の方を採用することもあり、雰囲気重視で物事を決定することもあります。

更に、その後少数派の行動を許容できずに強く批判してしまいます。

 

 

 

2タイプの衝突


個人主義個人主義者同士社会主義者社会主義者同士が集まれば大きなトラブルに発展しないのですが、

普通はそうはうまくいきません。

 

日本においては特に協調性を重要視される教育と国民性なので、おそらく個人主義者がマイノリティとなるでしょう。(統計はありません)

個人主義はとりわけ思想が合理的であり、物事の本質を見抜く力が高いため、集団の雰囲気に流されず、それどころかあえて逆らおうとさえしようとします。

強い意見を面と向かって言い放つこともあるので、人によっては驚かれたりすることもあるでしょう。

そういった個人主義者の行動によって、その周囲にいる社会主義者はモヤモヤした気持ちになります。

社会主義者にとっては皆がおおよそ同じ思想、同じ行動を取ることで協調性が保たれ、人間関係が上手く構築されると考えているので、

そのような行動を起こす人物はご法度なわけです。

自分たちの保たれていた平和を壊されたと感じ、同じ社会主義者が手を組み強く批判し、個人主義者の価値観を改めさせようとしたり、最悪その場から追い出す空気感を作ってしまうことさえあります。

 

もし社会主義者がマイノリティとなった場合はどうでしょう?

個人主義は集団で集まったとしても、個々が各々自分のスタイルを維持しながら好き勝手やるので、誰も集団意識に対して問題提議することがありません。

特に個人が互いに尊敬しあっていれば、足並みを揃えなくとも協力関係を築けるとなんとなく実感しています。

そんな中、社会主義者はその集団に対して疑問を感じます。果たして統率の取れていないこの集団で社会が形成できているのか?

すると半ば自己犠牲的に個人主義の手助けをしたり、中継役になったり、リーダーシップを図ろうとするのですが、

いかんせん彼らはなかなか言うことを聞きません。そうすることの必要性を感じていないのですから。

そうなったとき、社会主義者はひどく落ち込みます。

 

まとめると、個人主義は無意味な集団行動を強いられることに、社会主義者身勝手で気ままな行動を取られることに、激しく怒りを覚えます。

 

 

 

ビッグファイブから考える2タイプ


個人主義社会主義自体、私の考える理論であり一切の根拠がありません。

そのため検証する余地はありますが、一応考察を書き記しておきます。

 

【開放性】

開放性が高い人は、新しい挑戦や発見、審美眼など持つ傾向にあるため、

風習やルールに流されない傾向にあるといえます。

そのため開放性が高い個人主義低い社会主義となります。

 

【協調性】

これは言わずもがなかもしれませんが、協調性は対人における親和性を表しています。

協調性が高い社会主義低い個人主義となります。

 

【誠実性】

一度決めた目標にこつこつ取り組んだり、真面目に物事に取り組む特性のある誠実性。

これに関しては社会主義個人主義の区別は持たないと考えます。

ルールに重んじるという意味で高いと社会主義になり得るかと考えましたが、

個人主義でも誠実性が発揮される場面が概ね想像に難くありません。

 

神経症的傾向】

神経症的傾向が高いと、対人における不安感や、他人に依存してしまう心理を抱きやすいです。

そのため個人主義特有の独立心が、神経症的傾向の高さから表れるとは思いません。

よって高い社会主義低い個人主義になるのではないでしょうか。

 

【外向性】

最後の外向性。こちらについても2タイプの差は起こらないと考えます。

ちなみに会社経営者などは外向性の高い個人主義であることが多いと僕は考えています。

社会という言葉から考えると意外かもしれませんが、社会主義者は周りよりも抜きん出ることを恐れるため、

統率を取るリーダーには向いていますが、重大な決定権を抱える度量は持ち合わせていないと考えます。

 

 

 

注意点とまとめ


個人主義社会主義者の違いについて話してきましたが、

この2タイプは人によってきっぱりどちらかに分かれるというわけではなく、あくまで傾向を表しています。

例えば僕のように 9:1 でほぼ個人主義な人もいれば、4:6 程度で個人のことも大切にしつつ協調性を重視する人もいます。

こういった考え方はレッテル貼りになってしまわないように、自分がどちら寄りか、相手がどちら寄りかを判断し、

お互いの価値観や感性をいかに理解しすり合わせることができるかが大切だと考えています。

もし自分が個人主義で、身勝手な言動をしていたと感じるならばそれを改め

社会主義者で、自分の考え方を他人に無理強いさせていたと感じるならば、それを改めればいいわけです。

 

こういった僕個人の理論に過ぎませんが、読んだ方の気づきのきっかけになれば幸いです。

人間関係がうまくいくといいですね。

 

 

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